近年、ドラマ化もされ国内だけでなく海外にもファンが多い『孤独のグルメ』。この人気作品はいかにして生まれたのか……。原作者・久住氏と初代編集担当・壹岐氏にその知られざる制作過程を赤裸々に語ってもらった!
『孤独のグルメ』連載のきっかけは
ーーマンガ『孤独のグルメ』の連載がスタートしたのは'94年。そもそものきっかけはなんだったのでしょうか?
壹岐:『月刊PANJA』という『SPA!』の兄弟誌を出すことになり、そこで久住さんに食べもの絡みの漫画原作を描いてほしいとお願いしたのがきっかけです。
久住:編集者が突然、家にやって来て「昨今のグルメブームがムカつく」と(笑)
壹岐:80年代半ばくらいに山本益博さんがいわゆる“グルメ本”を出し始めて、その辺りから世間がグルメブームというか、そういう風潮になってきていました。
久住:バブルの頃、流行ってましたね。
壹岐:おいしいものとか高いものとかがもてはやされる時代だったんです。山本益博さんなんかもおいしいものばかり食べてらっしゃってて、ついていけない……って(笑)
久住:だから、流行りのグルメ本みたいなものではなく、僕のデビュー作『夜行』(作画の泉晴紀氏とのユニット・泉昌之名義の作品。単行本『かっこいいスキヤキ』(扶桑社文庫)収録)みたいなアプローチで食べ物をテーマに描けないかという依頼でした。
壹岐:久住さんの原点となるのは『夜行』だと思うんですけど、あの発想のきっかけは何だったんですか?
久住:あれは1980年の作品で、当時はまだグルメブームなんてなくて、ラーメンブームすらなかった。そもそもラーメン屋自体こんなに多くなくて、「荻窪のラーメン屋がうまい」とか言ったりはしてたけどわざわざ電車に乗ってラーメン食べに行く人なんて、いなかった。
とにかくグルメブームとはまったく無関係に、「弁当を食うとき、おかずの順番を考てしまう自分」というのを漫画で描いたんですよ。つまり、余計な心配とアホらしさですね。
壹岐:ご飯が足りなくならないように配分しなきゃとか。
久住:そう。普段からカレーを食べるときも、「このペースで食い進むとライスだけ余ってカレーが足りなくなるぞ」とか。今でもよく覚えてるんだけど、大学時代に友達と一緒に電車に乗ってるとき、彼に「カッコつけた男が弁当を食べる順番を悩むだけの漫画を描いたら面白いんじゃないかな」と言ったら「それは面白い!」って。それで「しかも『なんちゃって』無しで、しっかり劇画タッチで描いたらいいんじゃないかな」と言ったら「それ絶対面白い」と言ってくれました。
そのときは泉さんに描いてもらうとは思ってなかったですけどね。その場の思いつきだったけど、その事ずっと忘れなくて。
壹岐:そこが始まりだったんですね。
久住:でも、『夜行』を描いたずっと後で思ったんだけど、おかしいことやくだらないことを真面目に描くという原点は楳図かずおさんなんだよね。おじいちゃんが若返って高校生になっちゃう『アゲイン』っていう漫画は、すごくおかしい内容を恐怖漫画のタッチのまま描いています。それが面白くて。『夜行』は泉さんを使って『アゲイン』みたいなことをしたんだと思う、その時は無意識だったけど。
壹岐:なるほど。
久住:あと、僕はその頃赤瀬川原平さんのところで勉強してたんだけど、赤瀬川さんは、はしゃぐのが嫌いで「面白いことを淡々とちゃんと描く」というところがありました。『夜行』では、ラストの「大切にとっておいたおかずが思っていたものと違ってガッカリ」というオチはどうでもよくって、弁当を考えながら食べ進むというプロセスを、ちゃんと描きたかった。そこを泉さんもわかってて面白いと思ってくれたんですよ。本当に“グルメ”とは根本的に何の関係もない作品なんですよね。
壹岐:僕もそうですけど、久住さんも“グルメ”とは無縁で過ごしてたんですもんね。
久住:興味が無かったし、今もぜんぜん興味ないもん。「南インドの本格なんとかカレー」とか言われてもチンプンカンプンだもん(笑)。何度説明聞いても忘れる。
最初のイメージは“ハードボイルド”のみ
ーー『孤独のグルメ』については、壹岐さんが『夜行』のような面白さを求めていた以外は、まったく何も決まっていない状態での依頼だったんですね。
壹岐:“ハードボイルド”というのは最初から言ってましたよね。
久住:そのようなことは言っていました。さいとう・たかをさんの名前も出てたしね。それって結局、『夜行』のときと同じ“内容と作画タッチの落差”ということです。パロディがやりたいんではない。泉さんも『夜行』を描くときに最初さいとう・たかをさんの作品を参考のために見たらしいんですよ。
でも、さいとう・たかをさんって劇画だと言われているけど、背景の人間や食べ物はけっこうラフに描いているので、案外役に立たなかった。池上遼一さんが一番参考になったと言ってたね。だから壹岐さんから「たとえばさいとう・たかをさんとか……」と言われたときに、面白いけど泉さんとの“さいとう・たかを体験”があったので、どうかなぁって思ったんですよ。
壹岐:すでに一回通ってたわけですね、さいとう・たかをさんは。
久住:そう。それで「主人公はどうする?」って話になったときに、僕としてはできるだけ余計なストーリーは書きたくなかったので、食べ物を目的にいろんなところに行くんじゃなくて、たまたま仕事で行ったところでお腹が空いちゃって何かを探すというのがいいなと。
「それだったら、どんな職業がいいだろう?」と考えてたら、壹岐さんの知り合いに雑貨を個人輸入している人がいるって話になって。その人は女の人だったんだけど、いいかもしれないと。そういう仕事だったら、いろんなところに行けるから。海外でも。
壹岐:海外ミステリの私立探偵みたいな感じで動きが取れるんですよね。
久住:僕はその人と実際にはお会いしてないんだけど、個人の輸入雑貨商の仕事のことを箇条書きして、FAXでいっぱい送ってくれたんです。井之頭五郎を描くにあたっての心構えに、すごく役立ちました。
壹岐:年齢については、いくつにしましょうという具体的な話はしなかったですよね。
久住:でも、若者ではないよねって。ちゃんと仕事してる大人がいいという話はしましたね。『夜行』のときはボクもまだ学生だったから「主人公はカッコいい人」ってざっくりしてた(笑)。それで記号としてハードボイルドっぽく中折れ帽にトレンチコートを着ていて……、そんなふうにカッコつけているのに頭の中ではおかずの順番を考えてるという設定が面白いって思った。
『孤独のグルメ』はもう少しリアルな、街にいそうな、真面目な大人でお金もそこそこ持っていて社会的にもしっかりした男にしようと思った。そんな男が、食べ物屋さんでちょっと困ったり戸惑ったり情けなかったり食い過ぎたりするのがいいだろうと。
渋る谷口ジローさんを泣き落しで説得
ーー最初に話が出てから、ぼんやりと五郎像が決まって作画を谷口ジローさんに依頼することに決まるまで、どれくらいかかったんですか?
久住:あんまり覚えてないけど1~2か月ぐらいはかかったかな。
壹岐:作画については、とにかくこちらとしては泉さんにお願いするのは禁じ手だと思ってたんですよ。
久住:それで谷口さんの名前が挙がって、谷口さん、最初はかなり渋っていて、書き始めて3作目くらいまで「なんでこんなものを描かなきゃいけないんだろう……」と思っていたそうです(笑)
ーー「なんで僕がグルメ漫画を?」という感じだったんでしょうか?
久住:でも、谷口さんはジャンルにこだわる人じゃないから、「なんでこういう漫画を?」の「なんで」という部分さえ納得したら、喜んで描いてくれるんです。当たり前だけど。
壹岐:当時は久住さんと谷口さんって同じ漫画でも別の世界に住んでる方だったんですよね。そのお二人がぶつかって、ひとつのものが生まれたら面白くなると思ったんです。
ーー最初渋っていた谷口さんをどうやって説得したんですか?
久住:いやもう強引に、力技だったと思うよ。編集者のヤクザみたいな感じが怖かったんじゃないかな(笑)。
壹岐:泣き落としですよ(笑)。
ーー何回くらい説得したんですか?
壹岐:3~4回ぐらいかなぁ。うつむきながら上目づかいに僕の目を見て、「なんで僕なの?」とおっしゃってました。
ーーもはや谷口さんの描く五郎以外は考えられませんし、谷口さんの綿密な描写はすごいですよね。お店もまるで実際に行かれたかのように描かれていて。
久住:僕、最初にドラマのスタッフに「谷口さんが描いた店をドラマに使わないでください」と言ったんだけど、それは谷口さんの絵を見てから実際にその店に行ったら、拍子抜けすると思ったからなんです。僕の撮ったなんでもない店内写真が、確かにその通りなのに、ものすごく魅力のある店内に描かれている。
壹岐:そういう理由でマンガの店はドラマに出てこないんですね。
久住:しかも、マンガはモノクロだしね。出来上がった絵を見るたびに、ため息が出るようだった。
壹岐:久住さんは谷口さんの線の抜き方、足し方に感心していらっしゃいましたね。
久住:というか、あんなに細かく描いてるのに読んでて疲れない。それって超高等技術なんですよ。あんなに細かく描いてるのに何回も読めるしサラッと読めるっていうのは、実はそこが一番すごい。
壹岐:こちらの依頼は“ハードボイルドグルメ”という大雑把なものでした(笑)、もっとアクの強い感じになるのかなと思っていたんですけど、どんどん静謐さが出てきましたね。
久住:言ってみれば、赤瀬川先生みたいに“淡々と”というふうになっていったんだよね。谷口さんが影響を受けたメビウスっていうフランスの大作家がいるんだけど、メビウスも最後は谷口さんのことを尊敬していたんだよね。
その2人が対談したときに、インタビュアーがメビウスに「谷口さんのマンガで面白いと思うのは何ですか」って聞いたら「男がレストランを回るマンガが面白い」と。谷口さんは最初なんの事かわかんなかったんだけど、どうも『孤独のグルメ』らしいと。レストランって(笑)
壹岐:最初にご依頼した頃、谷口さんに「壹岐さん僕はね、メビウスみたいな画を描きたいんだよ」と辛そうに言われました。それは暗に『孤独のグルメ』をやってる場合じゃないんだっていうことだったのかもしれません(笑)。
久住:でも、何度も書かれてることだけど、谷口さんは連載3回目の浅草の豆かんを食べたときの五郎の表情が谷口さん的に上手く描けて、「あ、いけるかな」と思ったらしい。谷口さんが『孤独のグルメ』を自分のものにした瞬間だね。
壹岐:あれは本当に素晴らしかったです。
タイトルの“グルメ”に込められた意味
ーー『孤独のグルメ』というタイトルはどのように決まったんですか?
久住:それはよく覚えてるんだけど、打ち合わせの電話で「あの孤独なグルメみたいなののことですけど」とかよく言ってました。だから「孤独」も「グルメ」も最初の頃から出てたんだよね。
壹岐:編集部内では仮タイトルで「孤独なグルメ」と言ってたんですよ。
久住:で、いろいろ決まって、最後に電話でタイトルはどうしましょうか?と言われたので「いいんじゃないの、『孤独のグルメ』で」となりました。そこで咄嗟に「な」が「の」に変わった。
ーー男性がひとりで食事する漫画だから“孤独なグルメ”と呼んでいたんですね。
壹岐:当時は“グルメ”っていう言葉がね。
久住:もう、バカにしてる感じだったよね。「グルメなヤツらが~」という感じで。だから『孤独のグルメ』の“グルメ”はグルメの連中をバカにしてるような感じもあるの。
ーー“孤独”と“グルメ”は対義語みたいな感じがありますよね。
久住:そうそう、一番意味が違う。孤独じゃないでしょ、グルメって。多くの人がおいしいと認めるものがわかる人が“グルマン”だったりするわけだから。孤独の人はどうでもいいの、ほかの人のことは。黙って食べるだけだからね。でも、今にして思えばいいタイトルだと思う、皮肉っぽくないし。
ーー“な”を“の”に変えて。『孤独“の”グルメ』って特徴的な言い方ですよね。
久住:うん。だけど中国でそのまま『孤独的美食家』って翻訳されると「違うなぁ」って(笑)。
壹岐:“単独者的”とか、そういうイメージですかね?
久住:台湾では「美食不孤単」と翻訳されていて、「おいしいものがあれば一人でも孤独ではない」という意味らしい。それはすごく合ってるなと感心しましたね。
壹岐:中国語にするとグルメ=美食家になっちゃうんですかね。
久住:そうだね。美食家は、「グルマン」だよね。
観察してお店を選び、目にしたことだけを描く
ーー記念すべき連載第一回目は山谷のお店でしたが、どうしてそこを選んだんですか?
久住:山谷には今でもある有名な居酒屋があって、当時、飲み友達に誘われて行ったらすごくよかった。時間が止まったようなお店でね。で、飲んで山谷をぶらついてたら食堂もあって、くたびれた感じのオヤジがいっぱい食ってたりしたんですよ。それを原作を書く段階で思い出して「あ、あそこなんか、いいかも」と、壹岐さんたちを連れて行ったんです。
壹岐:僕はその取材のときに初めて山谷に足を踏み入れたんだけど、どこからどこまでが山谷なのか分からなかったんですよ。
で、ぐるっと回ってたら簡易旅館やそのへんに寝ている人が現われてきて、だんだん怪しい雰囲気になってきて。谷口さんに渡すために写真を撮らないといけないのに怖くて撮れなくて、結局あとから編集部の若者に代わりに撮ってきてもらった(笑)。当時の山谷は今みたいに平気でテレビに映るような場所じゃなかったですよね。
久住:若者が飲みに行ったりとか、そういう場所じゃなかったよね。だから、谷口さんの第一話の原稿を最初に見たときは「あれ?」っていう感じでしたね。山谷の汚い感じがぜんぜんなくて、オジサンもきれいで可愛らしくて。でも今となっては、それがよかったんですが。店のオヤジに、酔っ払い客が新聞紙で叩かれて追い出されるのなんて、実際はすごいヤバいシーンなんだけど(笑)。
ーーあの場面は実際に目にされたんですか?
久住:もちろんですよ。目にしてないことは書いてないです。余談になりますが、ドラマの五郎のセリフは僕が全部書いてるんだけど、店の中で客が変な注文をしたり、店主が妙なダジャレを言ったりするのは全部本当にあったことです。スタッフたちが何回も通って、拾ったエピソードをそのとおり書いてます。
壹岐:そうだったんですね。
久住:僕たちはお笑いじゃないから、ネタという考え方はしません。その店をじっくり観察して、その店の個性とかほかと違うところを見つけて、そこから小さなドラマを組み立てる。写実なんだよね。ほんとのことのほうが、飽きないんです。
ーー「このお店に入ってみよう」と決めるのはインスピレーションですか?
久住:インスピレーションなんて抽象的なものじゃなくて、実際「ここはどうかな?」と思ったら、そこからお店をものすごくよく見て決めますよ。ドラマのできそうな店には、滲み出るものが必ずあるんです。どこの何を見るというんじゃなく、全体から滲み出るものが。
壹岐:僕なんかが全然感じないようなことを感じてらっしゃるんですよね。
久住:泉昌之の取材で泉さんと編集者と一緒に店探ししてると、「この男は何を見てるんだろう?」ってよく思う(笑)。
壹岐:久住さんが「ここいいね」とかおっしゃるじゃないですか。「そうですねぇ」と言いつつ、その“いいね”の意味が全然わかっていない。
久住:中に入ってもよく見るし。メニューは書物だと思ってますからね。書物であり年表であり、叙事詩でもある(笑)。
壹岐:確かに叙事詩ですね。
ーーもともと行きつけのお店を漫画にした回もあるんですか?
壹岐:ほとんど一見のお店でしたよね。
久住:そうだね。ただ、五郎が店主にアームロックをしたエピソードの回があるんだけど、実際に学生のときに行ってすごく嫌な思いをして、食べる気なくなっちゃったという思い出のお店で。
壹岐:学生時代の話なんですね。
久住:そう。20歳ぐらいのときに統計のアルバイトをしてて、そのお店がおいしいというのを職員の人から聞いて行ったの。確かにおいしかったんだけど途中でああいうことになっちゃって、それが忘れられなくてあの回を書いたんです。もちろんアームロックはないけど(笑)
イタリアの人にも「焼きまんじゅう」はわかる
ーーアジアやヨーロッパなど、『孤独のグルメ』が世界各国で人気になっていることはどう感じていますか?
久住:ビックリしてます。一番意外だったのは最初、イタリアで売れたという話ですね。
壹岐:さすがにイタリアの人に向けては描いてなかったですよね(笑)。
久住:まさかねぇ、イタリアの人に“高崎の焼きまんじゅう”って言ってもわかんないだろうって。
でもね、知り合いの女性が向こうでイタリア人の彼氏と住んでて、日本に来たときに一緒に居酒屋に行ったの。で、彼氏は彼女に勧められてイタリア版の『孤独のグルメ』を読んでるらしいので、「どうだった?」と聞いたら「漫画というものを読んだことがなかったから最初はすごく読みにくかったけど、今はもう何回も読んでる」と言うの。だから「高崎の焼きまんじゅうとかわかんないでしょ?」と聞いたら「どんな味でどんなものなのかまったくわからないけど、すごく食べてみたい」と。
それを聞いたときに「あ、そうか!」と思いました。俺は全然ダメだった。「イタリア人にこんなのわかるわけない」っていうのはいやらしい上から目線の話で、自分だって子どもの頃に西部劇を白黒テレビで観てて、酒場でガンマンが食ってるもんを食べたいと思ってたんだよなって。お母さんに「あれは何?」って聞いたら「豆でも煮たようなもんじゃないの?」って言われたんだけど、いま思えばチリコンカンなんだよね。もちろん当時はなんだかわからないし味の想像もつかなかったけど、おいしそうに食べてるのを見ると食べたくなるんだよ。自分の考えは間違っていたなと思いました。
壹岐:なるほど。
久住:それから中国、台湾でも出版されたけど、そっちはドラマのほうがものすごく盛り上がってるよね。ただ、すごいなと思ったのは、一昨年台湾に行ったときに駅の改札の人に「久住さん」って言われたの。それはビックリしましたね。
壹岐:それはすごいですね。過激派の指名手配犯みたい(笑)。
久住:国際指名手配犯みたい(笑)去年の1月に息子とソウルに行ったときも声をかけられて。その人は日本語が全然できなかったんだけど、マンガもドラマも全部観てるというのを伝えてくれて。
でも、一番最初に海外で声をかけられたのはパリの凱旋門。中国人に「写真を撮ってくれ」と言われて撮ってあげようとしたら、「そうじゃなくてあなたと」って言われて。あれはビックリしたね。その人はイタリアに留学中でパリに遊びに来ていたらしんだけど、まさかパリの凱旋門で声をかけられるとは(笑)。よく僕がわかったなぁ。
「ふらっとQUSUMI」の意外な裏事情
ーー原作も長年愛され続けていますが、ドラマのほうもシリーズを重ねています。本編終了後の「ふらっとQUSUMI」もすっかり名物コーナーとして定着しましたが、反響はいかがですか?
久住:あれはね、本当は2回だけって話だったんですよ。だけど、第1回のお店のときに壁に並んだメニューを見て「しりとりみたいだ」とか言ったら、プロデューサーが「あの人面白いな」となって続けることになっちゃって。僕は2回やったら、あとは若くて食べ物が好きな女のコがやればいいって言ってたんだよ。ドラマはオヤジしか出てこないから(笑)。
壹岐:最初はどうしてお声がかかったんですか?
久住:Season1って、実は第一話が汁なし担々麺の店で第二話が居酒屋の予定だったんだけど、第二話のほうが仕上がりがよかったので、そっちを第一話にしようってことになりました。でも、松重さんは五郎とぜんぜん顔が違うし、一発目から飲めない五郎が居酒屋に行ったらマンガの五郎ファンから総スカンを食らうのではと制作チームが思って、そのフォローのために僕が呼ばれたんです。
第一話の最後の情報コーナーに原作者として僕が出て、横からADが「松重さん、漫画の五郎とずいぶん違いますがどうですか?」と聞いてくるのに対しても「いいんじゃないですか」と言って、「居酒屋なんですけどどうですか?」と聞いてくるのに対しても「焼き飯とかあるからいいんじゃないですか」と言って。それを言うために出たんですよ。それがなんとなくズルズルやることになっちゃって、まぁ深夜だし、誰も見てないだろうからいいかってなったんだけど。まさかシリーズがこんなにずっと続くなんて夢にも思っていませんでした。
壹岐:ライブ感ある作り方なんですね。
久住:最初のほうは完全な手探りだった。
壹岐:久住さんは、五郎が食べたものと違うものを食べるんですよね。あれ、普通は五郎が食べたものを食べますよね。
久住:何も考えてないからね。食べたいものを食べてくださいって言われてるから。でも、箱根でステーキ丼を食べたときはひどかった(Season4第三話)。あの店はアワビ丼と足柄牛のステーキ丼の2種類しかメニューがなくて、五郎はすごく悩んでステーキ丼を頼んだ。
そのあと松重さんに会ったら「あそこのステーキ丼は本当にうまい」「後日家族とも行った」と言うので、僕のコーナーでも迷いなくステーキ丼を食べたら、ツイッターで「アワビ行けハゲ!」って(笑)。今までで一番ウケたんじゃないかな。
壹岐:お酒を飲むのも定番になってますね。
久住:それもSeason2ぐらいから、お店の人が「ビール出さないといけないんじゃないか」という感じになっちゃって。食べてたら横で生ビール持って立ってたりする(笑)。それで、「これはなんですか」ってとぼけるようになって。
自分で頼むときは「ビールください」って普通に言うんだけど、勝手に出されたら「なんですかこれは?あ、ゴールデンサイダーですか?」とかって、アドリブで言う。
壹岐:「麦ジュースですか?」とかってね(笑)。毎回楽しみにしてますよ。
【久住昌之氏】
漫画家・音楽家。'58年、東京都出身。'81年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画誌『ガロ』デビュー。『孤独のグルメ』ほか著書多数
【壹岐真也氏】
編集者。'60年、東京都出身。'94年、連載『孤独のグルメ』起ち上げる。『週刊SPA!』副編集長、文芸誌『en-taxi』編集長を歴任
※「『孤独のグルメ』巡礼ガイド3」より